どうして学ぶのか

どうして学ぶのか

エントリー投稿日:2020/04/27
こんにちは。加西校の芝本です。
だいぶ温かくなってきて、花も虫も躍るころです。
息が詰まるような生活が続きますが、うまく気晴らしはできていますか?
せまる大型連休も、なかなか思うように過ごすことは難しそうです。
こういったときこそ、身近なところに楽しみや幸せを見つけたいですね。

さて、こういった息苦しいときに勉強しなさいと言うのもなんだかなぁという気分ですので
もう少し前向きになれそうな話をしますね。
幸い時間はありますのでよければお付き合いを!

勉強は義務でしょうか?権利でしょうか?
しっかり社会科の勉強をしている人なら、学校で学ぶことはわたしたちの権利だと言うかもしれませんね。
しかし、字面で終わってしまってはいけませんよ、深めましょう。
なぜ、義務だか権利だか言われるような要職に、「学ぶこと」が据えられているのでしょうね?

岡村ゼミナールで皆さんに教えていると、「これがなんの役に立つの?」と聞かれることがあります。
正直、教えたこと全てが役立つとは言いづらいです(教師や塾講師になれば役立ちますよ…)。
しかし「電子辞書でひけばいいやん」「計算機があるやん」。これにはちょっと、むむっとなってしまいます。
電子辞書も計算機も、ひいては紙辞書もそろばんも、全て先人が考えて考えて発明してくれたものです。
わたしたちが今学習しているものは全て、先人の知恵や工夫の集大成なのですね。
(高校にあがってからの数学を思うと、先人の偉業を思わずにはいられません…)
疑い、考え、気づき、学ぶ。これらをくりかえし、少しずつ生き物は前進しています。
アリさんの歩みのごとく、1つの歩みがミリ単位でも、繰り返し進むことで確実に、知を培ってきました。

ここで戻りましょう。なぜ学ぶことは、かようにも重要視されているのか?
わたしは、学びによる先人たちのなした業を知り、そして自らもまた前進していくためだと思います。

人は生涯学び続けます。学びが終わることはありません。
この言葉を、肯定的に捉えたでしょうか?否定的に捉えたでしょうか?
どちらでもかまいませんが、どうか皆さんもこれからたくさんの気づきを得てくださいね。
同じ学びの道にある者として、ささやかながら応援しています。

加西校 芝本

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